三宅城跡
三宅城跡
蔵垣内公園に看板と石碑が立っています。
三宅城は三宅出羽守国政が永正元年(1504年)に築きました。天文16年(1537年)当時の管領職、細川晴元は総勢を投入し、2月25日に三宅城を包囲しました。戦況不利とみた三宅国村は3月晦日に降伏し、城を明け渡しました。その後、香西元成が城主になりましたが、三好長慶との争いに敗れ、三宅城は永禄5年(1562年)に消滅してしまいました。
 城の大きさは、東西596m、南北540mであったと思われ、かなりの大きさであったと推定されている。
 小字名も「堀田」、「蓮池」、「大名寺池」と呼ばれる地名があり、この城のことを知る手がかりになっています。
 またこの城の場内であったと考えられる、この公園から丑寅の方角に丑寅町の地名が残っています。
住所 茨木市蔵垣内3丁目15 マップはこちら
交通 JR千里丘駅より徒歩10分