郡山城跡 摂津郡山城跡
郡山城跡 摂津郡山城跡
郡山城跡 摂津郡山城跡
現在の新郡山1-9から西一帯高台に『城の内』があったといわれています。高槻城主、和田伊賀守惟政につかえていた高利平太夫(郡兵太夫)が、郡山の地に城を構え、近郷の七か村(郡、郡山、上野、畑田、中河原、宿河原、五日市)を支配していたといわれています。資料によると城の西側は断崖、北・東・南は池で囲まれており、現在それが堀であったと考えられます。南の池に接して井戸があり飲料水で使用されていたと考えられます。また、城の内の町中には特徴的な道の折れがあり、防備の跡が窺えます。
他に旧地名でも物見塚、門口、出シ、山ドイ、西ノ谷、西ノ町、上ン町、中町、南町、東町など城に関する地名が語り継がれており、伝承・地形・文献から勘案すると、郡山全域がほぼ城域であったと考えられています。
 また、ここから東に300mほど離れた現在の浪速少年院正門北側に郡山城址の案内板と、大正時代にこの少年院建設工事中に発見された家紋入りの城石と思われる石が一つ置かれています。その他人形の焼き物が発見されており、こちらも城跡であった可能性があると考えられています。
住所 摂津郡山城跡:茨木市新郡山1丁目9 マップはこちら
交通 摂津郡山城跡:阪急バス郡山団地バス停より徒歩約5分
住所 郡山城跡:茨木市新郡山1丁目9 マップはこちら
交通 郡山城跡:阪急バス下井バス停より徒歩約10分