権内水路(深山水路)
権内水路(深山水路)
権内水路(深山水路)
 今から290年ほど前に、このあたりの庄屋だった畑中権内が独力で掘ったと伝えられています。

畑中権内(はたなかごんない)
 畑中権内は、五代将軍徳川綱吉の元禄・宝永頃に、車作村の庄屋を務めていました。この車作一帯は、安威川を下に望む高地に田畑があるため水の便が悪く、米作が大変困難でした。
 彼は、庄屋としてこの農民の苦境を何とか救いたいと考え、新たに用水路を造成しようと考えました。権内は宝永年間(1704年頃)に、車作村から1km隔てた安威川の上流である音無川(竜王山の北側)から、水を引き入れる水路を独力で掘りました。
 しかし、安威川の水を上流で横から取り入れることは、当時は水が貴重なものであっただけに、下流の村々の反対・妨害が予想されるので、出来上がった水路は木の枝や枯葉、草花などで覆い隠して工事を進めていったと語り伝えられています。
  
住所 大字車作
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